アマチュアViolin弾きの「独り言」

~思いついたこと、気になることを自由に、気の向くままに~~<そうして中断です>~

JAZZ と ART・・・・個性?

何人かの音楽仲間と話していた時、たまたま話しは
Jazzに及んだ。
私には、Jazzの知識が無い。
ただ、音が流れてくれば、聴くのは好きだ。
知識が無いから、ジャンルの説明が出来ないが
いわゆるモダンジャズ系が流れると心地良い。

 

で、話し手は
あるプレーヤー(私は、その時は、ああ聞いたことがある名前と判った
のだが。今は忘れた)が素晴らしくて、アドリブでの演奏は変幻自在。
そして様々なアレンジをする。

そこで、そのすばらしさに憧れて、音源から音取りをして、大雑把
ながら分析をしてみたという。

すると、確かに、そのプレーヤーが受け持つアドリブ部分の演奏は
相当数に上る(同じ曲を演奏した場合の、アドリブ数)。
話していた人は、100とか有るかも知れないけれど、と言った。
けれども、次の楽器に渡す時のパターンは、限られている。
そして、アドリブでの演奏全体が毎回異なるように感じるのは、
テーマをつなぐ「経過音」を変化させているから、だと判った。
と言う。

「定型部分」と「経過音部分」、そして「いくつかの受け渡し部分」から
その演奏が成り立っている、と言う。
単純に「パターン化」と決めつけると、語弊があるだろうが、音を
聞いただけでプレーヤーの特定が出来る、一因かも知れないと思った。


この話を聞きながら、私はArt作品のことを考えて居た。
いわゆる絵画作品で、写実、具象作品は画面から作者の特定が容易だ。
モチーフ、画面構成等々から作者の特定が出来る。

だが、抽象画では(有名になり売れるからと、同じパターンで描く作者は
別にして)、変化を求め、パターン化を嫌い、新しい段階に進みたいと
常に願う事が多い。
それでも、出来上がった作品を見て、
「このブルー」は、「この線の引き方」は、「この面の取り方」は、と言った
ところから、作者を判断できることがある。


Jazz、Art共に基本的には、演奏者、作者が「パターン化」を避け
ようとして居ながら、結果的に現れる「モノ」。
これが「個性」と呼ぶモノなのだろうか・・・・


「パターン化」と「個性(独自性)」・・・・アルコールが少々回り、談論風発の
中で考えた。
昨夜の出来事。