アマチュアViolin弾きの「独り言」

~思いついたこと、気になることを自由に、気の向くままに~~<そうして中断です>~

ミッシヤー・マイスキーのBach 演奏

先日、TVで昨年の「宮崎国際音楽祭」の放映が有り、ミッシヤー・マイスキー
チェロ演奏を聴いた。


広上淳一の指揮で、オーケストラは「宮崎国際音楽祭管弦楽団
曲目は チャイコフスキーロココ風の主題による変奏曲 作品33」
    サン・サーンス「チェロ協奏曲 第1番 イ短調 作品33」
    アンコールに
    バッハ無伴奏チェロ組曲 第1番 から 前奏曲
であった。


特に、アンコールのBachの、彼らしい、うたいまくる演奏を聴きながら、
おぼろげながら10年以上前の記憶がよみがえった。


その時もTVでの放映だった。

彼の豪華な自宅、広大な庭園。そこに十人弱だったと思うが、若い
音楽家が集められていた。
(『NHK・TVでの「未来への教室」に2001年に登場し、彼らしい音楽解釈の
レクチャーを行った』と言うネットの記事があるが、多分この時だと思う)

その時、CDであろうか、聞き比べをさせて「どの音楽が、解釈が、音色が
現在にふさわしいと思うか?」と言った様なことを、若い音楽家達に話していた。

その音源の中に「カザルスとマイスキー本人」とのBachの無伴奏の比較も有り、
聴かせた後に、
最早、カザルスの演奏は過去のモノと感じられる旨、発言していた記憶がある。

 

当時、二人の演奏の違いを、私は個性の違いと言った意味で捉えていたように
思うが、
今回、ミッシヤー・マイスキーのBachの演奏を聴いた印象は、敢えて一言で、
表現すると、「過剰にうたい過ぎ」と言った感じ。
これを、言葉を選んで言えば、「『彼の流麗な独特の感性』がほとばしり過ぎ
ていると感じた」言うのかも知れないが。
その演奏は彼の音楽性でもあるが、年数を経て改めて聴く時、10年以上前に
自分の感じた「個性の違い」と言ったレベルとは、次元の異なる感情を抱いた。

そもそも、私の感じた「感性の違い」と言うのは、「解釈の違い」と置き換えて
も良い。
少なくとも、演奏の違いは、音楽的な表現の違いであって、両者に「同等」な
価値を与えていた。

だが、今回の彼の演奏を聴きながら、私は「個性の違い」では無く、端的に言えば
違和感を感じた。
ただ、それはカザルスとの比較と言う事では無く、Bachの音楽に対する、彼の
解釈に対する違和感だと思う。
10年の間に、私も少しはBachを聴き込み、勉強し、そして年令を重ねた結果の
印象である。

単純に、それを「聴き手の好み」(趣味)と片付ければ良いのかも知れない。
世界的な奏者に一介のアマチュアが、とも思うが・・・・一寸、大袈裟に言えば
芸術って、その様なものでは無かろうか??(結論が、飛躍しすぎかな)


今回の曲目
サンサーンスのコンチェルト1番を、初めて伴奏したのは学生時代。
この時の事も書きたいが・・・・又、日を改めて。