アマチュアViolin弾きの「独り言」

~思いついたこと、気になることを自由に、気の向くままに~~<そうして中断です>~

朝比奈隆が・・・

先日、後輩が来てくれた話を書いた。
彼に会った時にふと思い出した。
それは、朝比奈隆の棒で演奏をした時のことを。


私の学校の先生に、専門は音楽ではないが、指揮をし
フルートを教えているダンディーな人がいた。
そして、フルートの弟子にはプロや、有名人が結構いる。
この人が、ある時、「金のフルート」を購入。
最近ではあまり珍しくないが、当時はあまり見かけなかった。

 

そこで、お披露目をするから伴奏に加われと、呼び出しが
かかった。
曲目はモーツアルトの有名な「フルートとハープの協奏曲」。
ハープは奥様(ハープやピアノを教えておられた)。
会場は、お披露目だからとホテルの宴会場。


リハーサルをするから、早めに来いと言うことで、会場に
つくと、メンバーは10名少々。
トップはプロオケのコンサートマスター
他は、チェロが件の後輩と数年先輩の人。
他のメンバーも互いに顔見知り、様々なオーケストラなどに
エキストラとして常時出ているレベルの人たち。


ふと見ると、今日の主役の夫婦と話している人物が、
朝比奈隆だった。
以前から先生と朝比奈氏は親しいとは聞いていたが、私は
一瞬戸惑った。
今日のメンバーの中で、唯一人の一緒に演奏した経験がない
人物、それが朝比奈隆
少々ビビった訳である。
幸い、ヴァイオリンは各パート2列。私はすっ飛んで、
セカンドの後ろの席を確保した。
後から、パートと席を決めようと話が出たが、私は固守。


この曲は有名だが、私は演奏経験なし。
その上、事前に手許に楽譜の用意も出来てなかった。
だから、全くの初見での演奏。
主役のご夫婦との親しさがあり、会場もホテルだと言う
ことで気軽に考えすぎていた。
この瞬間に、遅すぎた反省。


朝比奈隆という人の指揮は、特にこの時のような場合には、
有っても無くてもと言ったところ。
弾き手が、合わせる為にやることは、指揮者では無く
コンサートマスターを見るだけ。
まあ、結果は何とか適当な演奏が出来た。


一つだけ、ずっと判らない事がある、朝比奈隆がリハーサルの
時に、ヴァイオリンメンバーの手許を見比べて「ああ、こっちは
ドイツ式。そちらはフランス式だね」「どちらでも良いですよ」
と言った。
何を意味しているのか未だに判らない。
ボーイング(弓)の事では無いし?左手の事?
全然、違ったことを意味してたのかもしれない。


因みに、朝比奈だけでなく主役夫婦も既に天上に行ってしまった。
チェロ弾きの後輩に会い、ふと思い出した昔の話・・・・

 

戦争が始まる前に・・・

いよいよ、戦争に向けて政府が動いた。


かつて
仮想敵国を対象にしての軍事同盟・・・・それは
「日独伊」軍事同盟。
仮想敵国はアメリカ。
同盟目的は「抑止力」。
けれどこの「抑止力」は何の役にも立たず、
アメリカとの戦争へと進んだ。


そして今回も「抑止力」と言う言葉が使われている。
拙速に、然も政治では決断出来ないことを、強引に
かつ説明も無しに進めてしまった。

 

そもそも、政治家の判断では決断実行出来ない事項。
けれど政治家の思い込みと、自己満足を充足させる為
に動いた。
これらの結果は、やがて、悲惨な状況として具体化される
のだろう。

 

そして、
少しは、役に立つと思って居た公明党は腰砕け。
「与党」と言う魅力(魔力)から離れがたいのであろう。
後世になって、「名誉ある地位」となるチャンスを放棄して
しまった。


特定秘密保護法で、要注意意見とチェックされる前に
書かねばと思い・・・・少し記した

 

後輩が訪ねて来てくれた

私の最近の様子を案じて、関西から後輩が来てくれた。

彼は仕事の傍ら、各所でアマチュアとしてチェロを弾いている。

 

そもそもの関わりは、中学校で彼が一年後に入学し、私の
所属していたテニス部に入部した時から。
さらに高校ではテニス部に併せて小編成で活動していた管弦楽
アンサンブルに所属。
その後は大学のオーケストラ、社会人になってからもアマオケ
で共に演奏。

 

私が関西を離れてからは、年に一度の「大学オケのOB/OG合宿」
で2~3日、高校のこれまた「OB/OGアンサンブル会」で会う程度で
ある。

然し、つきあいが永いから、性格も互いに十分によく分かり合っている
間柄。

その彼が、前日、東京での仕事を済ませ、わざわざ一日滞在を
延ばして会いに来てくれた。                                  


今の季節、天候に恵まれず富士山は見えなかったが、三浦半島
西岸をドライブ、色々と話し合った。

各々の最近の音楽活動は勿論だが、若くして逝ってしまった何人かの
メンバーの事も話題になった。
その中には、プロのオーケストラで弾いていた後輩のヴァイオリン弾き。
若年性アルツハイマーになり、そのまま亡くなったクラリネット吹き。
癌で手術を受け、抗癌剤をうって戦っていたフルート吹き。
彼と同級のオーボエ吹きもいる。


彼との歴史が長いから、結構、共通に知っている人物が多い。
とりもなおさず、悲しい事実の数も多くなる。


昔から変わらない、誠実で純粋な青年?
いや、青年と呼べる年代から、遙か昔に卒業しているが・・・・
二人でいると、現実と過ぎた時の経過が混沌として判らなくなって
くる。

距離的に離れ、互いの音信頻度も少なくなっているが、わざわざ
気にして訪問してくれた彼に感謝するのみである。

 

ボランティア演奏

予てから、市内に数ブロック有る老人会の内の一つから、演奏
依頼が来ている。
昨年、この老人会での演奏をしたが、アンコール演奏の依頼である。
これらについては、以前にも触れた。

 

その際、「演奏依頼」にどの様に対応しようか、少し悩んで居る。
と記した。

 

演奏依頼は「前回と同じで」と言う事なので、一応「t&b」での演奏を
前提に考えていた。
新たに加えられた条件は、出来得れば「懐メロ」を中心にした演奏を、
そしてクラシック曲は、少なくともポピュラーで、耳に馴染みの
ある曲を求められた。

だから、演奏依頼を受けた時の悩み?は、依頼された事により、
ボランティア演奏曲の選択や、その練習に本来の練習時間が割かれる
ことであった。

 

この時点では、「t&b」はその設立時にメンバー達が語り合った内容
(曲目ジャンルや、互いの音楽活動の中心にして行こう等と)に沿って
活動を進めていこう考えて居た。


けれどもその後、「t&b」の練習活動は月に二回に固定。
先行き計画も徐々に漠然とした雰囲気になっていった。
そして、ボランティア演奏会への出演についても、概ね意見が無く
ズルズルと時が経過した。


その様な背景のなかで、再度、老人会の担当者から演奏会開催の
依頼を受けた。
これ以上返答を保留する事も出来ないし、メンバー間での意見も集約
出来そうに無いから、「t&b」での演奏は辞退したいと考えて居る。
それでもなおかつ演奏を、と言う事になれば、返事をせずに放置
してきた責任もあるから、別の人達に頼むしか無いのかな、と
思っている。

 

 

フィラデルフィア管弦楽団の放映を見て

昨夜、TVで「フィラデルフィア管弦楽団」の演奏を見た。
曲目はモーツアルトの「ジュピター」とマーラーの「巨人」。

ここに書くのは、演奏そのものでは無く、
画面を見て、改めて感じたこと。

 

いつの時代からか、コンサートマスターが「スター」として
扱われる様になり、オーケストラメンバーと同時では無く
後から現れる様になった。
このオーケストラでも例外では無く、後から登場。
然も、その間にオーケストラのメンバーは各々が好き勝手に
がしゃがしゃと音出しを暫くしている。


静かになって、効果的に?やおらコンサートマスター登場。
別格扱いをすることで、聴衆に権威を感じさせるのか?
コンサートマスター自身に満足感を与えるのか?
演奏面ではソロをし、全体的な掌握をし、指揮者とメンバーの
橋渡しをし、指揮者の解釈に基づき弓順(ボーイング)を決め、
等々、仕事は多岐にわたるのは事実である。
けれど、それらはオーケストラ内部のこと。職責として当然の
こと。
演奏会で、聴衆に「私は偉い。別格だ」と主張する必要は感じ
ないのだが。


これまた、いつの時代からか、コンサートマスターの椅子は
他のメンバーと異なり、ピアノ椅子等を置く様になった。
(フィラデルフィアは特別の椅子では無かった様だ)
確かに、後ろの席からは高い位置にする方が見やすいかも
知れない。
私は、オーケストラの後ろの席で弾いた経験がほとんど無いが、
数センチだけでも移動すれば、コンサートマスターを見ることが
出来る筈。
私の中では、コンサートマスターの特別椅子は「権威付け」の
要素がむしろ多分に含まれていると思って居る。

最近は、私はオーケストラ活動をしていないが、この位置で弾く
時には、皆と同じ椅子で、皆と一緒に同時にステージに上がって
いく。
(ずっと変わらずにこの姿勢で居る・・・・私の座高が高いだけ!?!?)

因みに、演奏をしているメンバーにとって、コンサートマスター
の動きは、指揮者よりもむしろ大事なことが多々有る。
だから、コンサートマスターを見ることが出来るかどうかは、
メンバーにとって重要な事だと言うのは事実である。

 


もう一つ、このオーケストラのコンサートマスターの椅子が、
客席側に向いていた。
弦楽四重奏などでも4人が馬蹄形に並ばないで、客席に向けて
拡がって演奏する傾向が多くなっている。
音が、客席にストレートに届くようにとの考えから、この様な
並び方が多くなった。
この傾向に対し、ホールの音響効果は昔と大きく変わり、現在
では音楽専門ホールではなくても、客席に音が上手く伝わる様に
なっている。
むしろ、昔の多目的ホール的な所でこそ、横並びが必要だった。
演奏家自身に、余り理解できていない事実である。


この発想で、コンサートマスターの椅子は客席方向に向けて
セッティングしてあった。(確かにソロ部分が何カ所も有るが)
けれど、コンサートマスターは向かいに位置するチェロ側を向いて
演奏(椅子に斜めがけで座っている)!!!客席に向かって座って居ない。


ひねくれた見方ではあるが・・・・何かが、少し異常だとは思う。
これらの傾向、このオーケストラに限って事では無いが。

 

悪事は反撃される前に・・・・

私がブログを始めた時には、政治問題に触れるつもりは

なかったのだが・・・・
思いを、少し記す。


「集団自衛権」の憲法解釈変更は、論理的に、法的に、そして
何より常識的に考えても許されない。
なのに、「政治家による安易な変更」が、現実になりそうな事態に
立ち至っている。


とても極端な例示であるが、
人を殺める時、
ごく微量の毒薬を長期間にわたって、服用させ目的を達する。
これに対し、被害者に反撃する余裕を与えないで、一気に目的を
遂げる。
例示として記した訳は、政治家の発想は、このレベルだと感じて
いるからだ。


現在の政治(家)はあたかも後者方式で、一気に結果を達成しようと
している。
彼等は、国民による反撃(反論)を恐れている。
時間をかけて議論をすれば、様々な矛盾、法律的、論理的破綻が
露出する。
すると、確実に彼等の目的は、達成出来なくなる。

だから、とにかく「どさくさ紛れ」に事を運ぼうとしている。
悪事を働くには、その内容の善悪、可否を問うことはしない。
説明、議論、説得などはしない。
それは、確実に反論され、悪事が働けなくなるから。


安倍晋三は「自分の主張が『悪事』だと認識している」のだ。
十分な議論も無く、国民に対する説明も無く、これほど慌てる
理由は・・・・・「悪事だと承知して居る」のだと考える。


危険感をあおり、例示にはごく限定的事項を持ち出し、それも
次々に変化させ、如何様にも判断できる言葉を使い・・・・

選んだのは我々国民。賢くならなければ!!

 

暴走する政治(家)

今朝は、ブログアップするとすればサッカーの話し
なのかも知れないが、
私は、敢えて・・・

 

何とも、暴走し続ける政治・・・・

国の根幹の「憲法」の解釈を政治(家)が変えていこうと
している。

 

憲法は、その時代の政治で自由に解釈し、変更できるもの
ではない。

憲法が、時代に即さなくなれば、必要な手続きの許で憲法
改正するべきである。
それが、法治国家の筋道である。

今までに、なし崩しに「解釈変更」がなされ、軍隊も軍備も
十分に世界に引けを取らない規模になった。
この事は事実だとしても。

現在、
短期間に、エスカレートさせ、危機感をあおり、戦争に
踏み込むレベルに、来てしまった。

「与党」という魅力が大きくて公明党も、じわじわとすり
寄っていく。
ブレーキはかからない。


基本的な論議(方法論)の話し、
つまり、憲法
「政治家(行政)の判断による『解釈変更』は許されない」
憲法は彼等そのものにも制約をかけ、基準となり、その上位に
位置する存在である。
この、基本的な部分を敢えて無視し、論理的には成り立たない
「屁理屈」で走っている政治。


私の知り合いの人が言った。
「私は安倍晋三と同年代です。同じ様な教育を受けた筈です。
だから彼の現在の発想、行動。考えられないのです。」と。